32.ペットの安楽死~大切な治療のひとつ~Ⅱ

安楽死とは人や動物を苦痛なく死に至らしめる行為であり、尊厳死と表現される場合もあります。動物では明確な法定義は為されておらず、事実上その是非は家族を含む動物医療関係者の良心に委ねられています。
獣医が選択肢を提示するケースは以下の通りです。
動物が病苦に苛まれていて、治療しても回復の見込みがない、もしくは極めて薄いと獣医が判断又は家族が判断している。
これから治療を開始しても延命治療となり、苦痛に満ちた最期を迎えると獣医学的に予想がされる。
回復の見込みはあるが苦痛に満ちた闘病生活を家族が受け入れられない。又は回復の見込みはあるが金銭的、あるいは環境的理由により治療を開始できない状態。
先述しましたように、犬猫の安楽死そのものは法律上の縛りを受けないためその是非はご家族や獣医師の良心に委ねられます。

獣医という職業を選ばれている方は動物が好きである事に間違いはないと私は思っています。獣医師が「安楽死」を提示する時には、激しい苦痛がこの先も続く、回復の見込みがないと判断した時であり、家族がそういった判断をしていて、「安楽死」をお願いしても、まだ治療の余地があると判断すれば断られるケースあり得ます。
闘病生活をご家族が受け入れられないケースでも獣医は熱心に説得されると聞きます。
もし治療の手立てがなく、激しい苦痛が続くことが分かっているのなら、「生きる時間を延ばす」ことだけが、その子にとって本当に幸せなのかを考えることも必要なのではないでしょうか。

「安楽死」を選んだ私、個人の考えは「安楽死」は命を終わらせるための行為ではなく、最後に残された大切な治療のひとつだったと思っています。勿論誰かにその選択を勧めるつもりはありません。
もし今、安楽死という決断をしたことで自分を責め続けている方がいるのなら、いつか、その決断を「愛情だった」と思える日が来てほしい。
あの時、私が抱えていた罪悪感も、悲しみも、後悔も・・・。10年という時を経て、今では少しずつ形を変えており、個人の考えは「安楽死」自体を必要以上に遠ざけるべきものではなく、動物たちを苦痛から解放するための治療のひとつだったと考えています。

ただ、その子の命を最後まで大切に考えた末の決断であるなら、それもまた、ひとつの愛のかたちなのであり、その子の「命」を終わらせたのではなく、「苦しみ」を終わらせたと思えれば少し救われた思いになれる事でしょう。自分を責めて苦しむ姿よりも笑顔で笑っているあなたをあの子は大好きなはずですから・・・。

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