「虹の橋」という希望 ~ペットの死は~Ⅱ

私自身も、人生で初めて一緒に暮らした愛犬を見送ったとき、深いペットロスに陥りました。「たかがペットが亡くなったくらいで、こんなに悲しむなんて大げさだ」と、自分の気持ちに蓋をしていたのです。その結果、悲しみは行き場を失い、心の奥深くに積もっていきました。
そんなある日、「虹の橋」の詩と出会いました。
虹の橋が嫌いとか死を美化しているとか又会えるという言葉が重く辛いとかの気持ちで押し付けられているように感じる。だから・・・・嫌いだという人も多いと思います。
それほど深い悲しみ、今までに経験した事のない辛さ・・・親の死は辛かったけれど受け入れられたのに何故ペットちゃんの旅立ちは簡単に受け入れられないのでしょうか?そんなどん底の精神状態で簡単に「虹の橋」の詩なんて受け入れられない、気休めにもならないと思う方は少なくはないでしょう。私も正直最初はそうでした。愛してやまなかったペットの死をそんなメルヘンチックに美化なんてできなかった。あんなに可愛かった子が今、いないのです。二度と会えないのです。あの子の匂いがまだ家中に残っています。リード、クッション、ベッド、好きだったおもちゃ、粗相をして罰の悪そうな顔をしていた床のシミ・・・でもあの子がいないのが現実。洗濯した洋服にもまだ少しあの子の匂いは残っている。私も勧められて知った。「虹の橋」の詩・・・・最初は到底受け入れられず「一人で待ってる?」「他のワンちゃんとは仲良くできなかった子が一人で・・・」「お留守番も嫌いだった子が一人・・・」余計に悲しくなったのを覚えています。つづく

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